差動装置の発明とメカニックの未来
一年後、手堅い実績を手にしたオネシフォール・ペックールは、名高いアール・ゼ・メチエ(フランス国立工芸院)のアトリエ主任に任命されます。願ってもない環境におかれたペックールの創造力と想像力に磨きがかかります。学期ごとに発明品が誕生しました。
のちに回転式モーターへと発展する直接回転式の蒸気機関、自然給気エンジン鉄道プロジェクト、アルテア式給水ポンプ、単一工程による釣り網製造システム、水循環による冷蔵システム、動力計、自身の工場で実現し財産をもたらしたテンサイ糖精製方法が発明されました。
マルチ発明家のオネシフォール・ペックールは、理論を迅速に応用できる能力を有していました。そのパイオニア精神の根底には、少年時代に出会ったムーブメントがありました。ペックールの機械式ムーブメントに対する情熱は、鉄道の導入、蒸気動力をはじめとする産業が台頭する19世紀前半という時代にぴったりと呼応していました。
数多く申請されたペックールの特許のなかでも、1828年4月25日付けの特許は特筆に値します。これは、半世紀の時を経てル・マンの自動車製造業アメデ・ボレによってはじめて使用されました。1828年の春に発表された理論は、半世紀の時を待って自動車産業の発展に決定的な影響を与えることになったのです。
CNAMのアトリエ主任であったペックールは、キュノーの蒸気自動車の欠陥改善を提案します。回転を促す動力制御のメカニズムを発案し、同一車軸の二つのホイールが、異なる速さで回転するようにしました。これが差動システムです。ペックールによれば、「差動システムによって、二つのホイール間で力が均等に配分され、それぞれが独立性を維持しながら機能する」ようになります。このシステムがなければ、陸上・鉄道の蒸気機関の発展もスムーズにはいかなかったでしょう。